手の散歩

はじめて作ったウサギのパズル。

はじめて作ったウサギのパズル。

木でものを作るようになったきっかけは、大学時代に自分でデザインしたウサギのパズルを作ろうとした時のこと。木工の先生から手渡されたのは古くて汚い一枚の板でした。

鉋の使い方から手ほどきを受け、苦労してなんとか削りました。汚い板の中から表れたのは「ああ、これが木だなあ。」いう木目と香り。木と自分は相性が良いと感じました。

好きで殆めた仕事でも、時には気が乗らないことがあります。頭の中でイメージしたものが、いつまでも形にならないのです。家事や日常に追われる中、ようやく時間がとれても、いざ作ろうとした時に手が思うように進まない・・・そんな時には「手の散歩」をします。

たとえば、木の皿の場合。散歩のコースは、工房の端材の中から厚さ3センチほどの板を探し、糸のこで直径13センチの丸型に切り抜き、内側をドリルで荒削り。あとはひたすら彫刻刃で彫って、菊の花のように放射状の彫り跡を残して仕上げます。所要時間は3時間ほど。

こうして短時間で一気にできる『散歩皿』は、素朴で力強く美しいものです。植物性のワックス・オイルを拭き込んで完成。自分だけの、自分のための時間です。

手の散歩には、決った型があるわけではないので、身近な材料で好きなものを作ります。

木の皿の前には、植物の種の形をした「触れるための木」を作っていた時期があります。種の形に興味を持ち、モモやビワ、カキ、リンゴなどの果物から豆や木の実へと観察はひろがっていきました。小さな種の中に込められた自然の造型の巧みな美しさに感嘆し、そのイメージを木で表現します。手の散歩のつもりで始めた種ですが、それは後に「種シリーズ」となりました。

手の散歩の中ではいろいろな事を考えます。たとえば木材の年輪の一本一本が、その木が植物として生きた年月の積み重ねなのだということ。数えてみれば、同じ地球の上で私の年齢より何倍も永い時間を過ごして来た相手と手の中で出会ったという感覚。木目やシミ、ホクロのように見える小さな節なども語りかけてきます。太い丸刃で彫るたびに木片が飛び出し、刃物の跡が残ってゆきます。

作業を進めているうちに、不思議と心が解き放たれ、のぴのぴと想像の世界へ入っていることに気づきます。それは、心をひらいて素直な自分になれる時間です。

人は原始時代からずっと、木で道具を作ることをとおして同じような感覚を持ち続けて来たのではないでしょうか。「木は人に優しい。木は暖かい。」と言われますが、木は植物として生きてきた時も木材として利用される時も、じつに寡黙で包容力のある相手です。

でも、その優しさや静かな包容力ゆえ、人は自分の利益のために相手を傷つけることに、無頓着であったように思います。身のまわりから自然がどんどん失われてやっと、そのことに気づきました。ずいぶん以前から、人は自然に対する誠実さを失っていたのでしょう。

木でものを作り、それを使う楽しさを一人でも多くの人へ伝えたいと思っています。

「木って、いいな。木が好きだ。」と感じる瞬間があれば、そこから生まれる興味は「知ること、学ぶことの楽しさ」につながり、それを共感できる人がいれば、楽しさや喜びはより大きくなるはず。

だれかのために、心をこめて作るのは素敵なことです。
私にとっては、それが 『子供たちと、かつて子供だった人への贈りもの』